
「何もない」


朝、なんとなく目が覚めるし。
真正面には天井と、左斜め上に目をやれば青空が広がるし。
ふんわりとした雲がぷかぷかしてるし。
相変わらずつまんない眺めだし。
「はぁ…し。今日も何かおもしろいこと無いかし…」
今日の予定も、ボンヤリだし。


たぬきは、人間のメスに飼われてるし。
ペットショップで生まれた時は姉妹がいっぱい居たけどし。
たぬきだけ買われて、とっくにばいばいしたし。
今、他の姉妹は何してるか知らないし。
それは別に興味ないし。
ここでの生活は良く言えば気まま、悪く言えば何もないし。
ご飯を食べて、時々うんちするし。
お気に入りのクッションでもふもふするけど、これも飽きたし。
昼クッションで寝るか、夜ブランケットで寝るかの違いしかないし。
結局は寝てるだけだし。



このたぬきは、ションボリというよりボンヤリしている退屈たぬきだった。
何をしても、何を見てもつまらないという感情しか抱かず、
特に目標も、信念もない。
毎日変化のない日々を送り、ウンザリたぬきでもあった。



ご飯も、不味くもなければ美味しくもないし。
ずっと同じたぬフードだから飽きたし。
飼い主は、特別優しくはないけど厳しくもないし。
時々撫でてくるけど、手を押しのけて“さわるな…”と言えば必要以上にさわられないし。
そうしたら、光る板をずっと見つめて、たまに笑っているし。
アッサリ引き下がりすぎだし。
もうちょっとぐらい、駆け引きが欲しいし。
何で飼ったし…？って聞きたくなるけど、捨てられそうなので言わないし。

そうこうしてるうちに、たぬきの退屈な1日が終わるし。
今日も何もなかったし。
ジタバタするほどの事もないし。
「はあ…し。今日も星の数を数えて寝るかし…」
独り言をつぶやいてみても、誰も反応しないし。


外では、スラム内で盗みを繰り返すので追い出された野良たぬきの腹いせで、もどきが誘き寄せられ、
裏切りに遭ったひとつの群れが、呼び込んだ野良ごと食い荒らされ瓦解していた。
「ひぃ、し…ひぃ、し…なんとかもどきから逃げられたし…良かったしチビ……チビ？」
その中で1匹の親たぬきが、自らの片腕を食いちぎられながらも、死に物狂いでチビたぬきを取り返して逃げ出す事に成功していた。
スラムの仲間たちがどうなっているか振り向きもせず、必死に辿り着いた先で。
一見、綺麗な顔でぐったりしているが、脇腹を半分以上噛みちぎられた我が子の亡骸を抱えて親たぬきが泣き叫ぶニュースなど、退屈たぬきが知ることはない。



おふろはキライだし。
髪もしっぽも濡れるし。
頼んでもないのに毎日入れられるし。
“くさくなるからダメ”って飼い主は言うけど、別に抱っこするわけでもないんだから、たまにでいいし。
　
飼い主はおふろにも光る板を持ち込んでるし。
三角座りして、ぽよぽよしたお腹にたぬきを座らせて、
なんかたぬきの頭に光る板をずっと乗せてるし。
頭のうしろ熱いし。
これ、ちょうどいい置き場にされてる気がするし。
その間も別に何も起こらないし。
飼い主が立てた膝に顔を乗せて、もたれかかるのも飽きたし。
アヒルのおもちゃでぱちゃぱちゃするのは、もう楽しくなくなったし。
暑いからそろそろ出たいしって言っても“うん…”て答えるだけで出ないし。
たぬきがぶにょぶにょになっても気にしてないし。
きっとたぬきよりあの光る板の方がかわいいんだし。
たぬきにはあの板触らせてくれないし。
頭のうしろ熱いし。
「はあ…し。お風呂キライだし」
どうせ聞いてないと思ってつぶやいたら珍しく、“…ん。たぬきなんか言った？”って飼い主が言うけど、
べつに…何でもないし…て答えたら“そっか”で済ますし。
全然つれないし。

きっと野良ならおふろ入らなくていいんだし。
野良はおふろよりイヤだけどし。



河川敷の橋の下、覗き込まなければ目立たない場所。
浅瀬の部分に浸かり、全裸のたぬき親子が行水していた。
昼間であれば、まだ耐えられる温度だった。
「いいかし…チビ達よく聞くし」
寒さというより、水に濡れるのを嫌がってぶるぶると身体を震わせるチビたぬき達の頭や身体を、親たぬきがモチモチと擦る。
拾った石けんを泡立てて、ぷかんと浮かんだしゃぼん玉が橋の上へと流れていく。
｢ｷｭｳ…♪ｷｭｳｷｭｰ♪」
チビたぬき達はくすぐったがり、甘えた声を出していた。
「野良でも身体をキレイにして、服も洗濯しておくし。そしたらいつか人間に拾ってもらえるし…」
「ちー！わかったし！」
「ままの言うとおりにするし…！」
「服は後で洗濯するし…1たぬき1着だから、一生大事にしなきゃだし…」
もし自分が生きているうちに拾われることが無くても、こうやって教えておけば我が子が大人になった時、あるいは更にその子供にも知識を受け継いでくれるかもしれない。
身体を洗ったあと服も石けん水につけ置き洗いをし、乾かす間に纏うつもりのぼろタオルの上に親子3着分を綺麗に畳んでいた。


チビ達が川の水温に慣れ、両手を上下させながらシャボン玉をふーふー吹いて遊び出した頃。
河川敷の茂みの中で、丁寧に畳まれている服をぼろタオルごと全て脇に抱え、1匹のたぬきが走り去る。
気がついた親子たぬきが追いつけない距離まで離れてから、盗(ぬす)ったぬきは力の限り叫んだ。
「やーーーいし！ばかだしーーーー！」


「あっ…待つしぃぃぃ！それはたぬきとチビの服だしぃぃ！」
「ｷｭｰ！？かえしてー！」
「ひどいしー！」
親たぬきはばしゃばしゃと川の水をかき分けて岸に上がるが、盗ったぬきはもう見えなくなってしまっていた。
「かっ、返じて…返してじぃ…」
「ｷｭｯ…まま、泣いてるし…？」
「まま…泣かないでし…ｸｩﾝ」
地面に手をつき、涙をぽろぽろと零す母の見たこともない姿にチビたぬき達はショックを受けて、もらい泣きを始めるが、
やがて岸をよじ登り、1人は泣いている親たぬきのほっぺをモチモチし、もう1人は背中にぽんぽんと手を当てた。
自分達が寝る時、母親がそうしてくれているように。


「キレイな服が良かったら、洗濯なんてしなくても盗んだ服に着替えればいいんだし！ししし！」
ぼろタオルと綺麗に畳まれた衣服をぽんと置き、ダンボールを重ねた巣に帰ってきた盗ったぬきは地団駄を踏むようにはしゃいだ。
たぬき界隈でも忌み嫌われる行為だったが、このたぬきは常習的に繰り返していた。
使い古した服やチビの服はたぬ木の近くならたまに全裸で生まれたちび用に物々交換をもちかけられる上に、
もどきに遭遇しても適当なゴミを包んで投げつければ一瞬そちらに注意を向けさせる事が出来、逃げる際にも役に立つ。
「あいつらばかだし！まぬけし！ししし！」
しかし、“間抜けなたぬき”は気がつかなかった。もどきの注意を引く事が出来るという事は、即ちもどきを呼び寄せるということに。
「キュウウ…♪キュウン、キュウン♪」
勢いよく飛び散った体液が、綺麗に畳まれていた服を汚した。


一方、服を盗まれてしまった親子たぬきは身体は乾いたものの、代わりの衣服は無いので全裸で内股気味に佇み、ションボリしていた。
「はずかしいし…」
濡れた葉っぱを貼り付けてみるが、乾いてしまえば、ひらり…と地面に舞い落ちていく。
「まま…さむいし…」
「しっぽまだ濡れてるし…ｷｭｳﾝ」
裸でくっついてくるチビたぬきの体温も低く、お互いの体温を奪い合うような格好になってしまう。
日没が近づいてきたので人目やたぬ目に晒される事は少ないが、風は冷たくなってきた。
この季節はどんどん寒くなっているのに、親子ともども全裸で過ごさなければならないのはあまりにーーーあまりにむごかった。
次の朝、身を寄せ合い眠った全裸のたぬき親子が、河川敷の茂みで冷たくなっていた。



「はぁ…し。退屈すぎてジタバタする気も起こらないし…」
うどんダンスもやる気が起こらないし。
飼い主も最初は“かわい〜”って言ってたくせに今じゃもう見向きもしないし。
また光る板とにらめっこだし。
今日はしっぽの毛繕いで1日が終わったし。
飼い主に見せるわけでもないから、あまり意味のない行為だったし。
ただの時間潰しだし。



「みてし！たぬきのうどんダンス！」
公園のベンチの上で踊るこのたぬきは、とにかく踊りが大好きだった。
まだチビと大人の中間といった大きさの個体だった。
「…おっにく♪みがしまる♪」
ギャラリーの有無に構わず、今日も踊り続ける。
時々、他の野良たぬきがつられて一緒に踊ってくれるからだ。
でも今日はまだ誰も参加してこないので、いつもより動きを大きくして目立とうとしていた。
そうして、はしゃぎ過ぎた踊りたぬきはベンチの上から落下し、足を挫いてしまった。
「いつつ…いだだ！？痛いしぃ…！」
仰向けにジタバタするが、さらに痛みが走りジタバタが止まらない。
モチっとした左足が先っぽの方でぐにゃりと曲がり、潰れているようにも見える。
騒いでいる様子を見て、1匹の野良たぬきが茂みの奥からもっちりと現れる。
すっかり大人で、踊りたぬきよりも随分と大きい。
「足がひしゃげてるし…これじゃもう踊れないし」
腫れ具合や動作痛もきちんと確認せず、大人たぬきはあっさり言い放った。
納得いかず、踊りたぬきは涙目でむくれる。
「なんでし…？前に転んで擦りむいた傷は治ったし…」
「表面の傷はモチモチになれば治るけどモチモチは中の怪我には無意味だし…」
残酷な事実を告げられ、踊りたぬきは次の言葉を失う。
自分より大きなたぬきがそう言うのだから、そういうものだと信じ込んでしまっていた。
「お前の足はもう前みたいに動かないし…どんくさいやつだし…」
「そんなのおかしいし…やだし…」
実は適切な治療を受ければ、やがて踊れるようになるのだが、リハビリもせず放置すれば足はそのままだ。
ただし、野良のたぬきに治療技術どころかリハビリの概念などない。
踊りたぬきの足は、医療知識を持たないモグリの藪たぬきの適当な診断により再び踊れる未来を絶たれてしまっていた。
「やだしっ…もう踊れないの、やだじぃ…！」
泣きながら左足をモチモチと叩いて直そうとするが、形が戻ることはない。
やがて諦め、片足を引きずって歩いていたところ、車に轢かれて踊りたぬきはその生涯を終えた。


テレビは、たぬきの手の届かないところにリモコンがあるから好きな時には見られないし。
大体、人間がああだこうだ喋ってるの見てたってつまんないし。
時々ご飯が映って飼い主が“おいしそう〜”って言ったのを聞いてから、たぬきも見て涎が出ちゃう時もあるけど、
別にたぬきが食べれるわけじゃないし。
明日も代わり映えしないご飯だし。



街のペットショップでは、退屈たぬきと同じたぬき玉で過ごした姉妹が、外の景色を見られず俯いていた。
ショーケースには、2割、5割の上に重ねるように8割引のシールが貼られている。

「どしてし…どうしてたぬきだけ連れて行ってもらえなかったし…」
そのたぬきは、ほんの少しだけ顔の幅が広く、ほっぺが垂れて顔の比率がおかしかった。
性格も良く、物覚えも良かったのだが、その一点だけで今日までずっと置いてけぼりだった。

1歳の日を迎えて廃棄処分が決定した8割引たぬきの前に、お誕生日ケーキと称された毒物が置かれた。
何も知らない8割引たぬきのはんぺんのような平べったい顔が、わずかに明るくなる。
店のショーケースは、たぬき玉の売れ残りのために開けなければならず、
この店は例外なく1年経てば破棄する決まりになっていた。
働く店員も、流石にこのたぬきは見てると違和感しかないのでいいかな…と誰も手を差し伸べはしなかった。
「生まれて初めて、固くてまずいご飯以外食べられたし…生きてて良かったし…！」
その言葉を最後に、退屈たぬきと姉妹だった8割引たぬきはこの世を去った。




今日は大雨が降っていたらしいけど、この中では関係のない事だったし。
晴れの日も、雨の日も。
台風の日も、雪の日も。
ずっとたぬきは、この中だし。
「このまま年をとって死んでいくんかし…？」
退屈たぬきが今日も無味乾燥な1日を終えて、ブランケットに包まれながらボンヤリと考えている頃。



水嵩を増し、濁流が荒れ狂う用水路の上を、3匹のちびたぬきが入ったダンボールが流されていた。
昼間の大雨が落ち着いて、我が子のためにご飯を取りに行っていた親たぬきが必死に追いかけるも、その距離は無慈悲に開いていく。

「ままーーー！早くたすけてしーーー！」
「おみずこわいしーーーー！」
「ｷｭｳｳｳｳﾝ！ｷｭｳ！ｷｭｳｳ！ま、ま…！」

「チビぃぃぃいい！誰し！？たぬきのチビのおうちを川に入れたの誰しぃぃ！？」


「ししし！あいつらわたしのナワバリうろちょろして、うっとおしかったし！」
物陰で笑うのは、2割引で買われたが意地汚い性格を見抜かれ捨てられた、退屈たぬきの姉妹だった。
「これでこの辺りのエサは全部わたしのモノだし！」
このたぬきは意気揚々と去って行った先で、
親たぬきが子供に食べさせようと持ち帰った野菜クズや消費期限切れの肉を見つける。
子供を助けるため、構わず放り出したものだった。
さっそく独り占めしようと、雨の後で腐った生ゴミを頬張った元2割引たぬきは食中毒で死んだ。


「大人になったら、ままみたいになるし！」
「チビもだし！まま、だいすきだし！」
「ｷｭｳｳ〜♪まぁ、ま…♪」
と、はしゃいでいた命が、手の届かない所へ行ってしまう。

「みんないい子だし…あっ！いちばん下のチビ！喋れるようになったし！？お祝いのご飯探してくるし！」

そう言って、昂る気持ちを抑えられなかった事を親たぬきは後悔していた。
大雨を耐え、自分を慕ってくれる我が子に少しでも良いものを食べさせてやろうと遠出した。
雨の後はいろいろな物が流されてくるので、何かしらが手に入る確率が高かったのだ。

蓋の固定が甘かったどこかのゴミ箱が雨風で倒れ、中身が飛び出したらしく、
野菜クズ、消費期限切れの肉など、たぬきにとっては宝の山を見つけ持てるだけ持って帰ってきたのに。
親たぬきは、何故もう少し早く帰って来れなかったのかと後悔で胸をつまらせた。

「まま…死にたくないし…」
「たしけてしー！」
「ｷｭﾜｧｧｧｱﾝ！ｷｭﾜｧｧｧｱﾝ！」

「今いくし…だから、まって…まってし…！」
子供達の悲痛な叫びが、どれだけ死に物狂いで走ろうと追いつけない親たぬきに突き刺さる。
親たぬきもまた、子供達に1日でも長く生き延びてほしかったと、嘆き悲しんだ。
雨風を凌ぎ、安定した食事が取れるような“楽園”が何処かにあると聞く。
けれどそれを見つけることは、今生では叶いそうになかった。

だけどそれでも。目の前のチビ達だけはわたしが幸せにしてみせるし。
チビ達の笑顔が、わたしにとっての勲章なんだし。

親たぬきは意を決して川に飛び込み、ダンボールを追い続けたが、
所詮たぬきが激流をかき分けて泳げるはずもなく、いたずらに水の中でジタバタする事に終始した結果、力尽きて沈んでいく。
「あっ…まま…？」
「ままいなくなったし！？やだし、やだし！」
「ｷﾞｭｳｳｳｳ！や、だ！し！」
その様子を見て、チビたぬき達もイヤイヤしながらジタバタした為に、ダンボール箱は横転し、3つの小さな命が冷たい川の底に飲み込まれていった。



たぬきがチビの頃は飼い主がよくボールを転がして返してくれてたけど、
ひとりで壁に当てて返ってくるの受け止めても張り合いがないし。
せめてチビでもいればお話ししたり、ボール遊びの相手にもなるんだし。
いっしょにダンスも踊れるし。
でも多分ほんとにいたらご飯の取り分も減るし、育てるのはめんどくさいからいいし。



「ばぶーし！ばぶーし！」
「はいはい…ミルクはさっき飲んだし…オムツかなし…？」
5割引で買い上げられた退屈たぬきの姉妹が、
その家で先に飼われていた、たぬき親子のベビーシッたーぬきとして働かされていた。

元々は親たぬき1匹だけの家庭だったが、一気に6匹もポップしたことで親たぬきの手が足りなくなり、
飼い主は5割引のたぬきに、“お前はベビーシッたーぬきとして買ったから、この子達の世話をよろしく”と説明してから家に迎え入れていた。
ベビーシッたーぬきは、ヘンな顔をしたもう1人の姉妹と残される前に買ってもらっただけでも感謝していた。
ショーケースの中で何もできずに毎日を過ごすより、よっぽど幸せだった。
「ばぶばぶーし！」
「ばーぶーし！」
「ああもう、忙し…忙し…！」
と、いう事で親の手が回らない5人のチビの世話をしてあげている。
手が回らないとはよく言ったもので、親はオムツこそ取れていないものの1番賢く、喋れる子の相手しかしていない。
他の子の育児放棄をしている親より、自分の方がよっぽどいい親ではないか。
そんな自負があったベビーシッたーぬきは、朝から晩までパンひとつでよく働いた。
飼い主もたぬき達にはまるで干渉せず、明らかな多頭飼いによる飼育崩壊で、食べる暇など無い日さえあった。
「自分の子じゃなくても、チビはかわいいもんだし…よしよし…」
5人を順番に抱っこしながら、常に状態を確認する。
「ばーぶし！ばーぶし！」
「あてて、ほっぺ引っ張っちゃダメだし…伸びちゃうし…」
「ばぶばぶしー！」
手を振り回し、何かを掴んだら離さないのは少し成長した赤子たぬきの習性ではあるが、この子はいささかヤンチャなようだった。
片方のほっぺはミルクをたくさん飲むチビが、抱っこしている間に口寂しさから哺乳瓶がわりに吸うので、常に赤い吸い痕が残っている。
ころんと転がって来たチビは、しっぽをぎゅっとつかんで離してくれない。
大変ではあるが、自分は強く求められている。
ベビーシッたーぬきは、昼はミルク作りやオムツ交換でくたくたになり、夜はチビ達の夜泣きで寝不足になりながらも、やり甲斐を感じて生きていた。


「できたしー！ｷｭｳｷｭｳ！」
「よしよし…おまえは出来る子だし…かわいいし…」
肝心の親たぬきは横になって、喋れる賢い子が積み木で遊ぶのを眺めながら、呑気に屁をこいたりしていた。


ただし、この生活は長くは続かなかった。
5匹の赤ちゃんたぬきも、ベビーシッたーぬきの世話の甲斐あって、立ち上がり、オムツが取れ、喋れるようになってくると。
「おまえ！ひまだし！ダンスおどれし！」
「しっぽひっぱるしぃー！」
「ほっぺも伸ばすしーぃ！」
「おなかすいたし！このパンほしいし！」
「これはチビたちがもらうしー！」
自分としては下に見ていたチビたぬき達が、急にかわいくなくなった。
元々チビ達は世話係としか思っていなかったので、実は一貫していたのだが、ベビーシッたーぬきには耐えられなかった。
「どうして自分の子じゃないのに、ここまでの横暴をガマンしなきゃならないし…！」
あちこちを引っ張られ、髪や尻尾をぼろぼろにされ、服には涎や鼻水をべたべたと付けられながら、ベビーシッたーぬきは嘆いた。
「お前、もう用済みだし…」
元々嫌いな親たぬきに、背後から不遜な声をかけられベビーシッたーぬきは睨みつけるように振り向く。
険悪な雰囲気は、お互い隠そうともしなかった。

「はぁ…？し…なんだし…？どういう意味し…」
「もうチビ達も十分育ったし。ベビーシッたーぬきは、赤ちゃんたぬきがもういないこの家には要らないし…出てけし」
ちなみに、唯一の賢かったチビは親たぬきのトイレトレーニングの躾の仕方が下手くそなせいで他の姉妹よりオムツを取るのが遅かった。
取れたと思えば部屋の真ん中にうんちをしてしまい、それを踏んだ飼い主が激昂し、
反省を促すため外で一晩過ごさせたらカラスに啄まれて死んでいた。
その後、親たぬきは放置していた出来の悪い子達を急に思い出したようにかわいがりだした。
ベビーシッたーぬきからすれば、横取りされた格好だった。
チビ達は自分の事を“おまえ”としか呼ばない。
これまで、誰が育ててきてやったと思ってるんだし。
このわたしを要らないなんて、恩知らずもいいとこだしーーーベビーシッたーぬきは、頭の中が沸騰して熱くなるような衝動に突き動かされた。
「前から言おうと思ってたし…年上はうやまえし…！」
「先に生まれたから何だし…！元々この家はわたしの家だし…！」
自分より若い親たぬきと、チビたぬき達の親子揃って不遜な態度。
どれも気に入らず、長く続いた過度のストレスにベビーシッたーぬきは限界を迎えた。
「ギュアッ！グオアッ！ダヌゥウウウウウ！」
獣のような雄叫びをあげ、ベビーシッたーぬきは親たぬきに掴みかかる。
もみ合いになるが、そのままモチモチしていては埒があかないので、
散乱していたブロック状の積み木で殴打を始めた。
「やめ゛っ…！ﾀﾞﾇｯ…ｷｭｳｳｳ…！」
思わぬ乱闘に混乱し、頭に一度打撃を喰らった親たぬきは抵抗できぬままで、
対するベビーシッたーぬきは憎い標的が動かなくなるまで殴り続けた。
なされるがままの親たぬきは、顔面がボコボコに腫れて変形し、側頭部から血を垂れ流し、首から下はピクピクと震えていたが、やがて活動を止めた。
その間、5人のチビたぬきは親たぬきに何が起こっているか理解できず、惨状を見ているしかなかった。
尿を漏らす者もいれば、遅きに失しているが無謀にもベビーシッたーぬきの尻をもちり、と蹴り上げる者もいた。
「ままになにするし！」
「おまえ、なまいきだし！」
「まま…まま、お返事してし…！」
「まま…うごかなくなちゃたしぃ…」
「おまえ！おまえも、うごかなくなれｷﾞｭｯ！？」
何かわめいているチビを、問答無用とばかりに脳天から積み木ブロックで殴りつけ床に伏せさせると、首を中心に叩いて永遠に動けなくした後は、
手塩にかけて育てたはずのチビ達を、1匹ずつ手にかけていく。
「ぎゃ…し！やめてし…！いたいし！ｸｩｩﾝ！ｸｩｩﾝ！？」
いつもしっぽを引っ張って来たチビは尻尾を叩き潰して、泣いている所を後ろから殴打し、動けなくした。
いつも頬を引っ張ってきたチビは積み木で両頬を潰し、
「ひぃぃ…し！」
と頬の痛みでろくに喋れなくなり、泣き叫ぶ顔を確認してから血のついた積み木を何度も振り下ろして動けなくした。
いつも自分の食事のパンを狙っていたチビは転がっていた積み木を口に突っ込み、頬を殴打してから動けなくした。
姉妹が動けなくされていく様を見て、逃げ回る事もできず、粗相をしたチビはお尻ぺんぺんの要領で積み木を叩きつけた後、
「ﾀﾞﾇｯ！ﾀﾞﾇｯ！や、やめてし…ｷｭｳｷｭｳ…！まッ」
媚びる声で何かを言う前に後頭部を滅多打ちにして、動かなくした。
ひと殴りする度に、思い出が消えていく気がして。
憎悪と悲しみにションボリを滲ませながらベビーシッたーぬきは全てのチビを動かなくしてしまった。

自分と、この親子たぬき達は立場が違うのだと理解できなかったベビーシッたーぬきは殺たぬ事件を起こし、帰宅した飼い主の手で処分された。


「何か起きないと、このままじゃ退屈で死んじゃうし…」
そんな事言ってみても、ほんとは死なないのはわかっているし。
でも死ななくても、生きてるって感じがしないし。
生きるか死ぬかのスリルは別にいらないけど、ほんのちょっとでいいから刺激が欲しいし。
死ぬという言葉に飼い主が反応するかと思ったけど、出掛けてていなかったし。


世の中には、悲惨なたぬき達で溢れている。
だが、その中でも困難に負けず生き抜いたり、仲間や我が子と共に苦しみを乗り越えているたぬきも居ない訳ではない。

ここのたぬきには傷つく事がない代わりに、心が高揚し揺さぶられ動くような出来事も起こらなかった。
屋根のある住処と、安定した食事と、痛みのない生活。
このたぬきは、多くのたぬき達が喉から欲しがる環境を持ち得ながら、
心が満たされないという理由だけで、退屈でつまらない場所だと感じていた。


「あーあ、明日こそ何か起こんないかし…」
言ってみるけど、どうせ結局明日も何もないし。
同じ予定をなぞるしかない毎日が、じわじわと心を殺していくんだし。
けど、自分から何か行動を起こすつもりにはなれないし。
たぬきはこれからも空を眺めてるし。
死ぬまで、多分、ずっと。


オワリ
